東日本大震災から4年が経とうとしています。
決して「早いものだ」とは思えない4年間でした。
色々なことがあったからこそ、
当時とは大きく変化もし、
それによって変わらない事が見えてきたりもします。
震災当時を思い出すと、
コンビニから商品が消え、町中からガソリンもなくなり、
カセットコンロとガスボンベを買って地元に帰ったりしていました。
他にも食糧であったり、タオルであったり、誰もが「出来る限りの支援」が可能でした。
少し経つと、必要なものがタバコに変わり、
住む家に変わり、個人では出来ないことも多くなっていき
やがて「必要な事」が見えにくくなっていきました。
ただ、未だ仮設住宅に住んでいる方々が居る事を見ても、
まだまだ復興したとは言えない状況で、
釜石に住んでいない人にとっては
「何をすべきか」「何ができるか」が
見えにくくなっているだけなのだと思います。
去年から色を変えた「釜石応援サミット」ですが、
今年も昨年同様に「釜石の為に戦っている人」を応援したく開催をいたします。
「何ができるか」が見えにくくなってきている分、
釜石応援団メンバーが色々な支援や活動の中で知り得た
「戦っている人」をご紹介させて頂き、
まだまだ復興への道は半ばである事、
まだまだできることがある事を知っていただければ幸いです。
震災当時「被災地に行渡らなくなるから」と自粛ムードが漂い始め、
「敢えて普段の生活をすることが復興につながる。」
「経済を停滞させないことが復興につながる。」と、
被災地以外では普通の暮らしをする事が正義であるという雰囲気になりました。
私個人の話で言うと、いま思えばその大義名分を免罪符に、
「思うように支援できていない自分」をどうにか正当化していた部分が少なからずありました。
思考の停止とまではいきませんが。
昨年の夏も、お盆休みに釜石でOB会野球をしました。
懐かしいメンバーが集まり、追悼の意味も含めてとても良い会でした。
私の実家は幸い、仮設住宅から新居へ移転をしたのですが、
その仮設住宅は球場横にありました。
楽しく野球をした帰りに、まだまだその仮設住宅で生活をされている人たちが見えました。
「敢えて普段の生活をすることが復興につながる。」段階ではありません。
少しの罪悪感と共に眺めていました。
仮設住宅住民の方々は「家に帰る」とは言わず
4年が経とうとしている今でも「仮設に帰る」と言うそうです。
まだまだ「仮」の生活が存在する事も忘れてはいけませんし
その為に「戦っている人」がいる事も知って頂きたいと思います。
関西方面をはじめ、色々な地域からの支援は未だに途切れません。
私たち「釜石人」も今一度何ができるか考え
「出来る限りの事」をしていかなければならないのではないかと思います。
釜石応援団 代表
松田 哲大