釜石応援団鹿児島支部のmazdaです。
私は、他人の心の傷は見えないと思っています。
友達であっても、
家族であっても、
絶対に見えません。
見えているとすれば、
それは錯覚だと思います。
「たぶんこうだろう」という予測はできますが、
心の傷は絶対に見えません。
たとえば、自殺した人に、
「最後に死ぬ気になって戦えば打開できたかもしれないのに」
と言ったりすることがあります。
それは自ら命を絶つほどの心の傷が目に見えないからだと思います。
明らかに全身傷だらけで血だらけで、
目に見えて瀕死の重傷で横たわっているひとに対して、
「最後に死ぬ気でがんばって戦え」とは言わないと思います。
これは、「かまいし」を応援するにあたり、
理解しておかなければならないことだと思います。
心の傷は、見えません。
見えていないからこそ、どれだけ痛いのか分からないからこそ、
一生懸命相手の立場に立って考えなければなりません。
全力で思いやらなければなりません。
だから、これも予測の元のおはなしなのかもしれません。
今回の心の傷は、無理矢理立たせていい程浅い傷ではないと思います。
震災ではたくさんの人が亡くなりました。
大切な人を亡くした人がたくさん残りました。
目の前で、どうしようもない事がたくさん起こりました。
傷は、計り知れません。
いまでも、震災当日の事は思い出したくないという声を聞きます。
私事ですが、当日津波は実際は見ていませんが、
いまでも津波から逃げ回る夢を何度も見ます。
1年たっても、『傷』は、あのときのままなのではないか、と思います。
むしろ、酷くなっているのではないかと思うときもあります。
わたしたちは、「かまいし」を応援します。
いっしょにたたかいます。
ただ、まだ立ち上がることができないひとは、
無理に立たせずにいつまでも待ちたいと思っています。
そして、待ってる間にわたしたちにできることは、
そのひとたちが立ち上がったときに、
ちからになってあげられる人たちの
大きくて太い『輪』を作っておく事だと思います。
傷が完全に癒える事は無いと思います。
でも、傷をかかえながらでもいつかはかならず
立ち上がって歩きださなければいけません。
ただ、その道は最低にして最高の道にしなければなりません。
津波で奪われた分、取り返さないといけません。
その為には、『絆』、『輪』が大切です。
ひとりでたたかえる程の出来事ではないからです。
わたしたちは、「かまいし」を応援します。
ただ、応援して純粋に勇気付けるとともに、
ちからになりたいと思っている人がこんなにいる、
と言う事をもっともっと伝えていかなければならないと思っています。
前向きに頑張っているひとを全力で応援する裏で、
立ち上がれないひとによりそうおもいやりの『輪』も必要なのではないかと思います。