やはりこの日に思う事はふたつだけで、失ったことの「くるしさ」と「会いたい」という気持ちです。
釜石応援団は、震災後に釜石にゆかりのある釜石に住んでいない人があつまり、「釜石の為に何かできることはないか」となんとか寄り添おうとしてきました。
釜石に住んでいない=当時現場にいなかったという事実は、「住んでいない」私たちがいくら当事者意識を持とうとしても、多くの盲点が存在してしまい本来現地に必要な応援ややるべき事からのギャップを生む事となった部分もあったかもしれません。
そしてそのギャップは、住んでいない私たちが同じように「悲しんで良いものなのか」という感覚も生んでしまっていたように思います。
「何かできることはないか」と思いつつ何もできず、震災当初はカセットコンロのガスを届ける事でも小さいながらも支援になっていたものが、震災数年後にはできる事も限られ、もはや「想い」ぐらいしか届けるものがありませんでした。
そんな中で、韋駄天競走など私たちが「できる事」に対し賛同いただき、時には共に創り、感謝して頂いた事は、私たちにとっては、「住んでいない」ことから生じる距離を縮めてくれるものでした。
そして、釜石に帰省するたびに思うことは、そこに暮らし、街を守り、創り、私たちの帰りを待ってくれている釜石の人たちには本当に感謝してもしきれません、ということです。
復興のゴールは人それぞれかもしれませんし、節目はありません。
ただ、私たちにとっては「くるしさ」と「会いたい」であふれる日が今年も来ました。
10年で津波から奪い返したものも多くありましたが、たぶんもう二度と会えないあいつに、あの人に「会いたい」という気持ちが今年もやはり溢れます。
その気持ちを和らげてくれるのは、釜石の皆さんです。
最後に、亡くなられた方のご冥福を今年もお祈りいたします。